ちょっとまちがえた
ノ理科(私の友人は藤原紀香をこう変換する)やっぱり結婚するんすね。ワシと同じ年で同じく兵庫出身なんて度々ネタにしてたノ理科姐さんが!ちなみにどんなふうにネタにしてたかというと。
よく修学旅行生さんには「ガイドさん年いくつ?結婚してないの?」とか聞かれますので、最初に言っておきます。年齢は藤原紀香と同い年、そして紀香と同じくバリバリの独身でございますので、どうぞ皆様、気軽に「紀香ちゃん」とおよびください。あ、前の席の方、笑いすぎでございます。以前、この自己紹介をした時に運転手さんに「どこがやねん!」とツッコミをされたこともございます。皆様、関西名物の「ツッコミ」。せっかく遠いところから関西に来られましたから、この関西名物「ツッコミ」そして「ボケ」、これを是非体得していただきたいと思います。基本は「なんでやねん!」「なにしとんねん!」「ナニ言うてんねん!」これでございます。
・・・・この「藤原紀香」ネタも、来年はアレンジしないといけませんね。しかしボケとツッコミというのは大事なことでっせ。AV監督・男優の市原克也さんのビデオでの関西弁喋りの面白さとか文章http://blog.livedoor.jp/ichiharakatsuya/の完璧さって、これは何だろうなって考えたのですが、これは「ツッコミ(冷静で客観的な視点)」と「ボケ(目線と立ち居地のバランスの絶妙さ)」じゃないかと思うわたくし。
そして全てのコミュニケーションは、この「ボケ」と「ツッコミ」だと思うわたくし。
しかし難しいのですよね。毎日40人ほどの人の前で日替わりトークをして(バスガァァイドの仕事で)しみじみと思いましたのよ。当たり前だけど、それぞれ別の人間なので相性もあるし、同じネタが受けるとか限らないし。ウケると思ったネタで怒る人もいるわけだしさ。しかしそれはどんな仕事でも、あるいは仕事以外でも同じやろうね。生きていく限りは何らかの形でコミュニケーションというモノが必要なわけだから。しかし今までいろんな仕事してきたけど、今まで私が一番「向いてない!」と絶望した仕事は「営業」でした。二度としないだろうなぁ、、、きっと、、、、多分、その時自分が売っていた「商品」に自信がなかったからなんだろうけど。そんなたわごとぬかしてたら営業なんてできないはずやっちゅうに。
バタバタとしてるうちに今年も終わろうとしております。年賀状書いてないや。でも友達少ないから、どうせ十数枚しか書かないけど。めんどくさいとは思いつつ年賀状でしか連絡取らない人とかいましね。この前、会社に来てたある年配の人が「この歳になると年賀状はお互い生死の確認や!」っておっしゃっておられましたわん。そうなんだよなー。
しかし今年は怒涛の年でございました。積年の願い叶い実家出られたし。揉めたけど。いろいろ大変だったけど。思いもよらず社長秘所なんかしちゃったりして毎日社長に怒られたりしてるし。今年はどういう年だったのかと一言で申しますと、、、
「疲れた」
でもここ数年は毎年そうなんです。体力が気力についていかないなぁと思う。人には「あんたは何でそんな元気なんだ」と言われるけど実は疲れてるんだよ。なんでこんなに焦ってるんだって思いながら走り続けてる気がする。焦ってるんだよなぁ。取り戻したいと思って。何を取り戻したいのか、失われた20代を。失うばかりだった20代を。人が当たり前に享受する(ように見えた)楽しみを自分の「弱さ」で犯した「罪」によって手に入れられなかったモノを死ぬまでに取り戻したいと焦っている。いつ死ぬかわかんないから。好きな本読んだり、好きな場所行ったりとか、友達と遊んだりとか、人から見たら些細なことかもしれないんだけどさ。でも「好きなこと」をするには、やっぱりお金と時間が必要だったりする。そうするとやっぱり来年もガツガツしなきゃいけないのか、ああ疲れる。疲れすぎて死なないようにしなくては。体力的なことでも、精神的なことでも。人間は疲れで死ぬ。体力的な疲労も精神的なストレスも身体を確実に蝕む。それはわかってるけど、でも焦る。
それはともかくだね。以前、関西ローカルの朝の番組「おはよう朝日」に大西ユカリと新世界が生歌披露して気になっていたのです。「ちょっとまちがえた」という歌。
ちがう人見て ときめいた
道をまちがえた 曲がるの忘れてた
好きになる人を まちがえた
ちょっとまちがえた 恋のなんとかを
本で見たように いかないさ
ってな感じの歌詞です。この歌を聴いた時に私は、「そうや!男見る目がないのも、仕事がアレなのも、アレもコレも、ちょっと間違えただけやっ!にしてまえ!」と思ったのです。自分という人間のマイナスな部分やら、状況のマイナスさとか、いろいろあるわけなんですが、それで更にマイナスの方向に行くと、その先には苦しみしかないわけで、そんなのは当たり前の話なんですが、どうしても人間は苦しむ方向に行ってしまいがちです。でも苦しみたくないっすよ。時間の無駄やん、苦しんだり悲しんだりすんのって。どっちみち生きていく上で愛別離苦からは逃れられないけど、だからと言って好き好んで苦しみたくないよな。苦しむのが好きな人もいますけどね。それは本当の苦しみじゃないんだろう。苦しんでるフリをしたいだけどか、苦しむという遊びをしているとか、苦しむことでしか自己確認が出来ないとか。時間の無駄やっちゅうに。人間いつ死ぬかわかんないのに。んなくだらん遊びしとられるかよ、ボケっ!(←これは自分に言い聞かせてるんです)
そういうわけで、アレやコレやの自分のアホさとか、暗鬱な状況とか、そういうマイナスなモンは全て「ちょっとまちがえた」という事にして片付けましょう。人間誰にでも間違いはあるっ!っちゅうことで、「来年は間違わないようにしましょう」。
多分何か間違えるだろうけど!間違いだらけのアホな人生やからっ!いいのっ!間違えたら「次は間違わんようにしたらええんやっ!」で!
そんなわけで。多分これが今年最後の日記かな。(わからんけど←気分屋さんやから)
今年一年読んで下さった皆様方、ありがとうございました。
私は年越しは一人で部屋で過ごしていることでしょう。大晦日の京都の行事行きたい気もするけど人混みが嫌いなんだよ、疲れるから。そういえば去年は京都のホテルで年越ししてた。絶対に実家を出たいと念じながら。願いは叶ったのだ。そういうわけで、疲れたけど、よい年でしたよ。世の中は何だか混沌としてはいるのだけれども、自分を取り巻く状況の悪さとかを世の中のせいにはしたくないし、世の中に負けてしまうべきではないと思う。マイナスをプラスに変えてやれ。坂本龍馬のように人から見たら絶望的な状況に陥っても「俺の人生はつくづく劇的にできているらしい」と、最悪な状況を逆手にとればいい。悲運を利用してやればいい。生きていくことは地獄なんだから。どうしたって地獄なんだから。だからこそ絶望するのは時間の無駄だ。そんなことしてる場合じゃない。
それは皆様。
よいお年を。