「賭博未来論」 市原克也


 その時は、いつも、死んでもいいと思っていました。
 この男のためなら、死ねる、と。
 私にとって、男を好きになるということは自分の全てを投げ出すということなのです。
 情が深いと言われます。それは男にとってありがた迷惑な情念なのです。全てを投げ出す勢いで男に惚れたつもりが、ずるい男には利用され金をむしりとられるか、怒りをぶつけられるサンドバックにされるかで、ずるくない男は投げ出された情念の深さが苦しくなり去ってゆくのです。
 「怖い」と、言われます。想いの強さが怖いと言われることもあれば、何をしでかすかわからなくて怖い、とも。

 いつも、いつも、男に惚れるときは、命がけです。
 それはなんと愚かな賭け事なのでしょう。他人から見れば負けるに決まっているだろうという勝負に自分の全てを注ぎ込み、案の定すってんてんになりボロボロになり涙と絶望と自己嫌悪と悔恨に塗れ地を這いずり回ってみっともない姿を晒して生きています。


 損をしない賭け事が出来たらいいと思います。
 男のことに関しては、他人はなんて上手い生き方をしているんだろうと羨んで生きてきました。同性から「私はあなたのように、そこまでのことができない」と言われると自分のバカさ加減を嘲笑されたような気がして悲しくなりました。
 男に惚れて、惚れて、惚れて、死んでもいいとまで思うのにロクな結末を迎えたことがありません。残るのは憎悪、借金、傷、悔恨・・・・なにもいいことなどありませんでした。失うばかりでした。男に惚れるたびに自己嫌悪に陥り「死んでしまえ、自分」と思いました。それならば懲りて男など好きにならぬように、惚れぬようにと毎度戒めようとするのですが、とことん、底無しの馬鹿のようで、懲りずにまた嘘吐きな男、痛めつけるのが好きな男、人を愛さない男ばかりと関わってるうちに四十の坂を迎えようとしています。私の人生の大半は、男に惚れて痛い目に合うことに費やされてきました。

 そう、私は、馬鹿なのです。
 馬鹿、ばか、莫迦、バカ・・・・・・どの文字が一番当てはまるのか、わかりません。「あなたは馬鹿じゃないよ」と言ってくれる人もいますが、22歳上の他に本命のいる男を繋ぎとめるためにサラ金に手を出して職を失い、その男に風俗に行って貢げと言われ、次の男は妻子や他に愛人のいる男で愛人自慢をされ続け変態行為に付き合い手のひらを返したように口撃され汚物のように扱われ、別の男には女と同居しているからと部屋に入れて貰えずに、そのくせにその女とは関係していない君が本命だという言葉を何年も信じていたり、これまた別の男にはずっとバレバレの嘘をつかれ続け・・・・・・まだまだ書けない、消化出来ない出来事が山ほどあります。間違いなく私は男に関しては馬鹿者です。大馬鹿者です。この前、ふと考えていました。私が大金を手にしたと知ったら、昔の男達はどう思うだろうかと。まず殆どの男が金をたかりにくるであろうな、恥ずかしげもなく、と、思うと、そういう男とばかり関わっていたことに笑い出しそうになりました。

 何故、そんなクズとばかり関わっていたのかと言われますが、今までクズしか私には寄ってこなかったのです。それでも自分のような人間が必要とされているのだと思うと、それが愛というものでは決してないとわかっていても、尻尾をふって「あなたのためになら死ねます」と喜んでしまうのです。私は間違いなく、馬鹿者です。
 大金と、時間を、男に賭けて注ぎ込んできました。

 「自分のことを愛してくれるかもしれない」という、賭けです。

 賭けは殆ど、ハズレました。

 
 「競馬王」に連載が始まった市原克也さんの「賭博未来論」を読んで、そんなことを思いました。
 市原克也さんはAV監督・男優であり、「全国のエロ奥さんアソコ洗おて待っとけや」(アテナ映像)シリーズなどの監督作品や、代々木忠監督の「ザ・面接」の面接隊長も勤めておられます。唯一無二の下品な関西弁の言葉責めの天才であり、もと編集者で読書家で美文家です。
 そして、ギャンブラー。

 私はギャンブルをしません。昔、嘘ばかりつく妻子のいる競馬予想を生業にしている男と付き合っていた時に何度か淀競馬場に連れていかれて馬券を買ってみたこともありますが、悉く外しました。ゲームもパチンコもしません。花札も麻雀も。宝くじも買いません。
 私は賭博をやりません。
 男が賭博みたいなもんで、負け続けました。
 
 
 馬鹿だから、賭けてしまいます。
 幸せになろうと、全てを賭けて、負けて、堕ちていきます。懲りずに、何度も。

 「馬鹿じゃないよ、あなたは」と言われるよりは、「馬鹿だけどしょうがないよね」と笑い飛ばして欲しいのです。馬鹿な自分を許せないくせに同じことを繰り返してきたので、せめて私以外の他人には「馬鹿だけど愛しているよ」と言われたいのです。愛という許しを乞うているのです。

 賭けを外してばかりの懲りない馬鹿女は、相も変わらずながらも、生まれて初めて「結婚」という賭けに出ました。それは、初めて自分に負けずとも劣らずの「過剰さ」を持つ相手とめぐり合ったからです。そして嘘をつかぬ人だからです。嘘をつけないのです、不器用だから。けれどまっすぐで、そこがいとおしいのです。馬鹿だな、と時折思います。この男は自分以上の馬鹿じゃないか、と。私のような女に賭けてしまうなんて。
 「あんたは馬鹿じゃないか」というと「俺は馬鹿だよ」と夫になる男は答えます。
 多分、この人は、わたしとおなじぐらい、ばか。


 わたしは賭博を、続けます。
 男という、恋愛という、賭博を。
 ギャンブラー達が、幸せになるために馬券を買うように、未来のために、賭博を続け生き続けます。


 この男のためなら死んでもいいと、唱えながら。


競馬王 2011年 03月号 [雑誌]

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