「名前のない女たち」 生きてるふり、やめた


 じんじんじんじん血がじんじん〜♪
 
 中村淳彦さんの企画AV女優インタビュー集「名前のない女たち」の映画が、9月4日から公開されます。
 詳しくはこちらの公式サイトを。

 でもねでもね、大阪では10月9日から公開なんで、私はまだまだ見られないんです・・・。東京のバカヤロー! 日本の中心としての歴史は関西の方が圧倒的に永いんじゃーっ! と拗ねる金玉夫人。

 観てない映画だから、どう語ればいいのかわからないのですが、連日ネット上の様々なニュースサイトでも取り上げられているし、評判が良さそうなので、宣伝しておこうかな、と思った金玉夫人。
 
 公式HP見て「えーっ!」と最初に思ったのは、主題歌が戸川純の「バージン・ブルース」ってことですね。企画AV女優の映画に「バージン・ブルース」ってのが虚をつかれて、非常に観たくなった。もともとこの歌は野坂昭如先生が歌ってらっしゃいます。作詞の「能吉利人」は野坂先生の別名。偶然なんだけど、7月初めに携帯の機種変更したから私の着うたは、野坂先生の歌うバージン・ブルースなのであった。もともと208のショーケースした時でもBGMにずっと野坂先生の歌を流していたぐらい好きなんですが。


 じんじんじんじん血がじんじん・・・♪


 私は10月まで待つから(涙)みんな、見に行ってくれよ・・・。
 それにしても、この映画のキャッチもすごいですね。


「生きてるふり、やめた」


 って。

 生きてるふりなんて、やめた方がいい。
 生きてるふりしてるうちは、苦しいままだ。



 そしてこの映画の原作である企画AV女優インタビュー集「名前のない女たち」の4巻目・最終章が宝島社より文庫化され、9月7日に発売されます。
 単行本には掲載されてない新たなインタビューも載っているそうですし、480円というワンコインで購入出来ますので、どうぞお手にとってください。
 そして今回発売される最終巻の文庫版で、私、藩金蓮が以前書いた「名前のない女たち」についての感想が、解説として掲載されています。
 自分が1年以上前に書いた文章ではあるのですが、一冊の本の中で、AV女優の彼女達の「声」のあとに、私の「声」が並べられることにより、このシリーズ完結本が、何を人の心に残すのか、どういう完成を見せているのかが、非常に気になっています。
 本って、やっぱり、まるまる一冊で1つの形だから。彼女達の声と、私の声と、そして著者である中村さんの声、そして今回の映画――「名前のない女たち」という悲痛な叫びが聞こえてくるこの4冊のシリーズが、どこに行くのか、どこに流れていくのか、その辿り着く場所が知りたい。
 アダルトビデオという消費される時代の仇花の如き世界に関わった人達が流れ流れて辿り着く場所が。



 解説に使われた自分の文章を、何度も読み返した。
 きっと私の家族が読んだら、あるいはもしも恋人がいて(いないけど)、その人が読んだのなら、痛々しく思うであろう自分の文章を。
 セックスに依存して――というより、男を受け入れる「穴」として要求されることに依存せざるを得なかった、そうじゃなければ死んでいたであろう自分、朝から晩まで死にたいと願っていて、死んだ後のシュミレーションばかりを一日中考えていた自分、私が生まれてしまった世界や、私を愛さない男たちへの復讐のために、自殺をしようとしていた自分――私にとって、「名前のない女たち」は、ひとごとなんかじゃない。
 未だに私は自分が生きている動機は、復讐だと思っている。復讐のために死に損なったのだと、だから生きているのだと。そして怨念の炎は未だに消えていない。

 桐野夏生著「グロテスク」に、

『身を売る女の理由はひとつ。この世への憎しみです』

 という台詞がある。それは愚かで哀しいことだけれども、とも。

 容姿にも知能にも要領にも運にも恵まれた人間ばかりじゃないのだ。努力して前向きでポジティブに行動できる人間ばかりじゃないのだ。

名前のない女たち」は、ひとごとなんかじゃない。ひとごとだと、ファンタジーだと、ありえない話だと言われると、自分が蔑まれたような気になり、悲しい。
 確か、原作者の中村さんと最初にそういう話をしたような気がする。私はあのシリーズは、他人事とはどうしても思えないのだ、と。

 私は処女を売ったのではなく、「男を買って」捨てた。
 代金は、60万円だった。初めてサラ金に行って手にしたお金だった。3社から借りた。どうしてもその男を手に入れるために、離さないためには、お金が必要だったのだ。
 キスはダメと言われていたし、前戯も全く無しの、挿入だけの処女喪失だった。それが私の24歳の「バージン・ブルース」。じんじんじんじん血がじんじん・・・血も涙も出なかった。
 そんな処女喪失と、その後の数年間で金を要求され続けそれに応え続けた自分は、女としても駄目だし、人間としてもクズだから、早く死んでしまえと、自分自身を呪い続けていた。今でも呪いの火は燈されている。その男だけじゃなくて、クズとばっかり関わってきた。平安時代は、女が死ぬと初めての男に背負われて三途の川を渡ると信じられていたそうだ。そんなのごめんだ。もしそうなったら、私は爪を立てて男の皮膚に食い込ませ背後から男を殺すだろう。
 男を買って処女喪失をした私は、長年関わった男と離れてからは、復讐のように自分の女の価値、というより「穴」の価値をお金に換算しようとしていた時期があった。「穴」があることで「女」として見られ、お金にもなることを知った時に、私は救われたし、男が怖くなくなった。そして今まで生きてこれたのだ。

 私は可哀想なのだろうか。
 だけど、あんたたちが知らない喜びも悲しみも寂しさも絶望も知ってるよ。知らないのは男に愛されることだけだよ。

名前のない女たち」の声と並べられた私の声を、聞いてください。私も本を手にしたら、そして映画を観たら、改めて思うことなどを書こうと思っています。可哀想だと思われるのはいいけれど、「自分とは関係の無い世界の人たちの話だ」と蔑まないで欲しい。いや、何を思うかはその人の勝手だけど、無かったことだけにはされたくない。

 この文庫版ですが、サブタイトルの

「セックスと自殺のあいだで」


 もすごいなと思っていたら、帯のキャッチが・・・



「売春でしかセックスできない」


 って・・・。
 本屋でこの「売春でしかセックスできない」と帯に書かれた本が積み上げられてるのですね・・・。


 私は、正直、今でもちょくちょくそう思う時あるよ。女であることを一番確実に確かめることが出来るのは、愛されることではなく売春だとは。歳をとっても容姿がどんなであろうと女でありさえすれば売ることが出来ることは知っているから。
 でも、だから私は薬にも酒にも依存せず手首も切らず死なずに生きている。昔よりずっと強くなったつもりで社会と折り合いをつけて世の中を渡っていけている。
 本当のところ、私は、絶望なんてしていないのかもしれない。
 
 私だけじゃない、彼女たちも。

 



 あなたもバージン、わたしもバージン♪








名前のない女たち最終章?セックスと自殺のあいだで (宝島SUGOI文庫)

名前のない女たち最終章?セックスと自殺のあいだで (宝島SUGOI文庫)