ひとりごとのようでひとりごとじゃないもの


 本屋で立ち読みしながら、陳列してある本の上に鞄を置いてる人をちょくちょく見かける。
 あの行為が、死ぬほど嫌いだ。頭に血が登る。
 どういう神経をしてるんだろう。私だって本を大切にしている方ではないだろうけれど、本をああいう風に扱うヤツは本屋に来るなと言いたくなるし、友達にはなりたくねぇ。


 毎日眠い。どうにもこうにも眠い。
  社長秘所業の時は、毎日6時に起きて弁当を作り出社に備える。
 バスガイド業ん時の朝の時間はまちまちだけど、おおよそ早い。3時とか4時起きとかザラにある。
 早起きしてると眠い。
 でも一日が永くて、いい。


 私の実家は、ド田舎なのだが、家は川に面していて、夏になると家周辺に蛍が出る。だから蛍なんか全然、珍しくなくて、当たり前のもんなのだが、都会の人がそれを羨ましがるのでビックリした。
 オカンによると、今年は何故か蛍が異常発生してて、乱舞しているらしい。


 軽蔑している男とセックスしたら、後悔して落ち込みそう。「愛の無いセックスはしません!」とまでは言わないが、あとで嫌な気分になるであろう相手とはしない方がいいな。例え、昔ちょっと好きだった人でも。
 でも中には、相手を軽蔑しているセックスの方が、いい、という人もいるし、バカにするためにセックスするような人もいる。「いい」とは思わないが、セックスすることによって相手を軽蔑して安心するということは、昔あった。そんなことしてたから、今バチがあたってるのかもしれない。男運悪いままで、死ぬのかと思うと、ゾっとする。


 私はバスガイド&社長秘所業の○○子という顔と、下ネタ連発の下品なエロ物書き藩金蓮さんという2つの顔があって、使い分けていて、どちらも私なんですが、「別人」なんですね。
 バスガイド&社長秘所業の○○子さんは下ネタなんて一切言わない仕事熱心で真面目な人なんですが、「お酒飲めない」ってことにしてるんですよ。
 何故なら業界の人間との付き合いが嫌いだから。「酒飲めない」ということにしておれば、いろんな場面で付き合いを断る理由に出来る。仕事は好きだけど、観光業界の空気やしきたりや、あらゆるものが嫌い。一人一人の人間は好きな人もたくさん居るけれど、それでもプライベートでは関わりたくはないし、生活を知られたくない。干渉されたりするのは御免だ。
 それに酒に酔って、心の内を見せることが何よりも嫌だ。酒は弛緩させるから。弛緩しきった酔っ払いが死ぬほど嫌いだ。

 だけど実はそこそこ飲める。独りで飲むことはないんだけど。

 この前気付いたのですが、私がどれだけ酒を飲むかというのは、相手次第なんですね。「この人の前なら飲んで酔ってもいい」と思う相手となら、結構飲める。(とか言いつつ翌日仕事の場合は抑えますが)
 付き合いの永い女友達の前でも、あんまり飲まないこともあるし、初めて会った人、まだ付き合い短い人でも、そこそこ飲む場合もある。
 どれだけ飲むか、酔うことを自分が許すかってのは、殆ど無意識に相手との距離のバロメーターになってる。
 あ、私、今日、結構飲んでる! ってふと気付いた時に、自分が目の前の相手に心を許して安心して酔うことを許してることを知ったりもする。

 これは煙草も似ている。
 私は煙草は嫌いなんだが、相手によっては平気。観光仕事関係者や、会社の来客の煙草はめちゃめちゃ不愉快。
 だけど女友達の煙草は平気だし、ヘビースモーカーの恋人と付き合ってた時は、その匂いすら愛おしかった。
 酒と煙草が、相手との距離のバロメーター。



 落ち込んでる友達と、私へ。

 落ちている時に読む本と、見るビデオというのがある。だから、それらの本は何度も読んでるし、ビデオは何回も観ている。哀しい内容じゃないけど、泣く。泣いて、寝る。そうすると落ち込みが晴れるわけじゃないけど、ちょっとすっきりする。
 
 本とか、映画とか、音楽とかは、そういう時のためにあるような気がする。だからたくさん本を読んだ方がいいし、映画をたくさん観て、音楽を聴いた方がいい。
 そうして自分を救うものを探すのだ。
 
 知識を詰め込んで賢ぶるために本は存在するんじゃない。
 

 オトナになって、社会の中で生きていこうとすると、思い通りにならないことだらけで、不条理なことだらけで、怒りや悲しみを避けて生きていくことなんて出来ない。
 だから電車は、しょっちゅう人身事故で止まる。
 社会に出て行かずに自分だけの世界で暮らしていけるような恵まれた人もいるけれど、ほとんどの人間はそうはいかない。
 そういう人間を救うために、本や映画は存在するのだ。
 社会と関係を結ぶことから逃げている人のために存在するんじゃない。社会の中の「ワタシ」である人のために存在するのだ。