エロ子さんの歴史教室
先日、ある飲み会やったんですが、くりえーたーを目指す人達ばかりやし(ヤング率高し)、本業(旅行業界)と関係の無い人達ばっかやったんで、わたくしは自分がコラムやレビューを書いてる「DMM DVD」(AV情報誌)を持参していったんですね。
男子はわりとスルーしてたんですが、女子達は「こんなの初めて見ます〜」とか「すごぉ〜い」とか見慣れてないもんやから、真剣な顔をして食い入るように見てて、そのあと、エロ子お姉さんはいろいろ質問とかされてました。
久々に若い女の子にモテ(?)て、ええ気分でした。めずらしく酔ってたし(すきっ腹にワイン飲んだから)
可愛い女子達が真剣な顔でエロ本広げたり、ワシの書いた「上品な口で下品なフェラチオ」とか「オナニーを披露する人妻」とかそんな文章を読んでるのを見ると、久々に勃ったね! (ち○こ無いけど)
あと、興味をもたれたのが「なんでそんなAV好きなんですか?」って。そらそうか。
AVを購入したことのある娘は一人もいませんでした。そらそうやろ。
この状況を、20年来の女友達(現在子育て中)にメールすると、
「楽しそうね。女の居る場所やと何でも楽しいんでしょ」
と返事が来ました。 えへへ。
そしてまた別の日に、本業の延長でヤングガイドさん達と奈良の歴史勉強会をしました。最初は古事記の話をしていたんですけど、以下のようなエピソードとかを語ったんですね。(勝手に関西弁に訳してます)
☆イザナギが、火の神様を生んでマ○コを焼かれて死んだ妻のイザナミを迎えに黄泉の国に行って、
「絶対に地上に出るまでうしろ振り向いたらアカンで」
って条件で妻を返してもらうことになったんやけど、あとちょっとで地上やねんってとこで振り向いて、そこで腐乱したイザナミを見て、
「お前、きっしょいわーーーっ!!」
って逃げんねん。ほんで腐乱死体のイザナミは
「あんたなぁ、自分が約束破って振り向いてて何で逃げんねんっ! 酷いやないかっ! ちょっと待ちいやっ!!」
って追いかけんねん。やけど結局イザナギはイザナミから逃げおおせて、地上に出て黄泉の国の穢れを洗い流して、その時に左目を洗って生まれたのがアマテラスオオミカミ、右目から生まれたのはツクヨミノミコト、鼻こすって生まれたのがスサノオノミコトやと言われてんねん。
☆アマテラスの子孫のニニギノミコトは、コノハナサクヤヒメってべっぴんさんに求婚するんやけど、その時にコノハナサクヤのオトンが、姉のイワナガヒメも一緒に嫁がせんねん。やけど、ニニギは
「イワナガヒメはぶっさいくやからいらんねん。家に帰りぃな」
って返すねんな。ほんでイワナガが、悲しむねん。
☆そのニニギとコノハナサクヤが一発やんねんけど、それで妊娠してん。それをニニギが
「それ、ホンマにワシの子かぁ?」
って疑うねん。コノハナサクヤは
「一回だけやけどやったやないかっ! 出来る時は出来んねん。アンタ何を疑ってんねんっ! めっちゃムカつくわっ! 天孫(アマテラスの孫)の子やっていう証明みせたるわっ!」
って、産屋に火をつけてそこで子供産むねん。むちゃするやろ。その中の一人ホオリの孫が初代の神武天皇やねん。
上記のエピソードを聞いたヤングガイドA子(28歳)が、
「めっ、めっちゃヒドい男ばっかですやんっ! なんなんですかそれっ!! 自分から約束破って逆ギレしたり、ぶさいくやから帰れとか、自分がやっといて、ほんまに俺の子か疑ったり、最低ですやんっ!!」
と、興奮し始めました。そして、
「男なんて、男なんて・・・古代からヒドい生き物やったんや・・・」
と言い始めて、もう一人のヤングガイドB子(23歳)が
「そんな男ばっかやないで・・・あとで話聞いたるからな・・・」
と、A子の背中を擦ってました。
A子・・・そんな男ばっかやないで・・・世の中にはええ男もおんねんって信じて生きていこうや・・・
あと、古事記にはそのイザナミがマ○コを焼かれて死んだ話の他にも、ヤマトトトヒモモソヒメという女性が、自分の男の正体が蛇やった驚いて、その拍子にマ○コに箸が刺さって(?)死んだとか、あるい男の正体を見たことを恥じて箸をマ○コに刺して自殺した(???)とか、そんな話もあるんです。(だからヤマトトトヒモモソヒメの墓は「箸墓」というんですね)
天岩戸でアマテラスが閉じこもった時に神様が宴会初めて、アマノウズメが踊っててそのうちにマ○コが見えて神様が大笑いして、アマテラスが「なんでそんなに外は楽しそうやねん」と天岩戸を少し開いて、その隙にタジカラオが「アマテラスはん、出てきなはれ」って岩戸をあけたとか・・・・マ○コ関連の話が多いんですよ。ガイドん時はそんなんはっきり言わんとぼやかしとるけど。
あと、何故第50代桓武天皇が奈良の都を捨てて平安京に遷都したか。(その前に長岡京に遷都しようとしたんやけど、失敗してる)これには政治と仏教会の癒着が大きな原因としてありました。それを語るには、「弓削道鏡」の話は欠かせませんねん。
簡単に言うと、弓削道鏡って坊さんが、孝謙天皇って女の天皇にとりいって、しまいには自分が天皇になろうとしたんですよ。孝謙天皇ってのは父親が聖武天皇で、母親が藤原不比等の娘の光明子で、どうしても天皇にならなアカン血筋で、独身の深層のご令嬢のまま天皇に即位した人なんですね。やから男に免疫なかったんやろなーとか言われてますねん。通説では。
ほんで、事実ちゃうと思うけど、後の世に「道鏡巨根伝説」ってのが生まれたんですね。ナニがデカくて、女をヒィヒィ言わせてたって。デカい=女が喜ぶって発想がそもそも勘違いやけど!! (これは声高主張せなあきません)
江戸時代は、「道鏡」ってネーミングの張り型(ナニの形したもんです)もあったらしいんですよ。勿論この「道鏡巨根伝説」のせいで。
話を戻しますと、道鏡が天皇になろうとしたんですけど、さすがの孝謙天皇(その時はもう一度即位して称徳天皇)も、
「ちょっとそれは神さんに聞かなアカンわぁ・・・」
と、和気清麻呂という人を九州の宇佐八幡宮に御神託を聞きに行かすんですね。ほんで、その御神託の結果は、
「アカンに決まっとるやん。なんでそんな坊主を天皇にせなあかんねん」
という神さんの声やったんですよ。
そして和気清麻呂はそれを帰ってそのまま孝謙天皇(称徳天皇)に告げるんですが、天皇と道鏡は怒って清麻呂を「きたなまろ」と改名して鹿児島に流してしまうんですね。
後に孝謙天皇が亡くなって、道鏡は下野(栃木県)に飛ばされて、清麻呂は勿論名前も元に戻されて帰還して平安京造営の功労者となるんですけどね。
この奈良から京都へと都が移る過程の一連の流れを話した時に、A子が「道鏡巨根説」を言い出したから、つい私も上記のように「江戸時代に『道鏡』って名前の張り型があった」とか言ったら、それがB子はものすごくツボやったらしくて笑い転げてました。
A子は、和気清麻呂が「きたなまろ(穢麻呂)」と改名されて流されたという話をした時に、
「何ですかそれっ! きたなまろって・・・大人げないですやんっ!!」
と驚くのです。言われてみればそうやなぁ。で、私が、
「子供が、『お前の名前は明日からウンコや〜、ウンコウンコ〜』とか言っていじめてるようなもんやなぁ」
と言うと、A子は、
「昔の人って、そんな子供っぽかったんですか!? めっちゃレベル低いですやんっ! きたなまろって・・・きたなまろって・・・」
と、また興奮しだしておりました。
そんな楽しいエロ子さんの歴史話でした。
って、ええんかいな、それで・・・・
彼女達は今日、きちんと奈良の歴史を把握できただろうかちょいと心配です。まともな話もちゃんとしたけど、きっと「古事記はヒドい男が多い」とか「昔の人は大人げない」とかそんな話の方が印象に残ってんやろうなぁ。