愛情バナナ
「愛情」という皮を剥いてみる。
剥いてみるというか、皮が剥がれ落ちる時がくる。
剥いて剥いて、中には何も無かった。
「愛情」という皮だけだった。 玉葱のように。
だからそれは、全て「愛情」だけで出来ていたのだ。
それが剥けると何も残らない、残さない。そんなこともあれば。
愛情という皮を剥けば、中には腐りかけの甘ったるい「憎しみ」という果実がどっしりつ詰まっている場合もある。バナナのように。
「愛情」という皮が剥がれたら、憎しみが剥き出しになり嫌な臭いを漂わす。甘い果物が腐敗した、あの臭い。
もしかしたら、最初から愛情なんてものは無くて、憎しみしかなかったんじゃないかと思えるほどの嫌な臭い。
どうして愛情の記憶はこんなにも遠く、憎悪の感触だけがべったりと肌に残るのか。
* * *
一人暮らしをして、一番いいことは、いつでも泣けること。
本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて泣く。
幸福な記憶に泣き、嫌な記憶に泣く。
自分の愚かさに泣き、寂しさに泣く。
涙は、自分1人で処理したい。
人を巻き込むとロクなことにならないのは散々経験したはずだから。
「生きて泳げ 涙は後ろへ流せ
向かい潮の彼方の国で 生まれなおせ」
中島みゆき「サーモン・ダンス」より
涙は後ろへ流そう。
誰にも甘えず。
人間は、皆、1人なのだから。
1人で生きていける人間になろうと、あの日、誓ったのだから。
私の痛みは私にしかわからない。だから1人で泣こう。
* * *
心を取り戻そう。
心を取り戻す為に、私はあの映画を観て、あの本を読む。
心を取り戻そう。信じよう。幸せになるために。惑わされず、信じよう。
心を、取り戻そう。
そうしないと、生きていけない。呆れる程に弱く拙い人間。
それも、私です。