愛の人になれなかった
RCサクセションを聞き始めたきっかけは、「風呂あがりの夜空に」(著・小林じんこ)という漫画だった。
高校生達の日常の中に、RCサクセションの名曲の歌詞が散りばめられていて、それで聞き始めた。
聞き始めたと言ったって、全然コアなファンなどではなく、そんなに曲も知らない。
だけど、たまに、どうしても聞きたくなる時があり、何度も何度も繰り返して聞かなければすまない時があった。
私が、すこし前、とても好きだった人が、清志郎のことをすごく好きだった。
ある時、ちょっとしたその人とのすれ違いがきっかけで、昔の嫌なことを思い出してぐちゃぐちゃになっていた私に、その人は、「僕は誰よりも君のことをわかっている」と、言った。
ユーチューブで見つけて感動したからと、キヨシローとチャボが草原の木陰で歌う「君が僕を知ってる」の画像を教えてくれた。
もともとそれは最初から上手くいくはずのない恋だったし、そういうバカで滑稽な恋をする私は、本物のバカで、呆れられても仕方がないのはわかっている。
だけど確かに一瞬だけでも心が通じ合ってた時間があったのだ。他人から見たら、一笑されて終わり、だろうけれど。
そしてその人は、掌を返し、私を「最初から存在しなかった」ように扱うようになった。弱くて自分を守るためには人を傷つけたり遠のけたりする人だったから、私は要するに捨てられたのだと、しばらく経ってから気付いた。
そんなことは慣れっこだったけれど、「僕は誰より君のことをわかっている」と言った人の豹変ぶりに、私は絶望の楔を打ち込まれた。
時間が過ぎて、私はその人を軽蔑して恨もうと思った。
好きだった人を嫌いになるのは難しい。
そして、苦しい。
とてもとても苦しい。離れていった心を追慕するのは苦しい。どうしようもない。
好きだった人を嫌いになるのには、どうすればいいか。それは軽蔑することだ。軽蔑しないと、嫌いになれない。その人の弱さを。
そして捨てられたのなら、恨む権利が私にはあると、思った。
そうやって、心を離していかねば。
それも人から見たらバカな行為なんだろうけれど、一度好きになった人を嫌いになるのは、好きだった記憶を「無かったことにする」ような器用な真似は私には出来ないのだ。
私はその人を愛そうとしたし、愛しているつもりだった。
だけど愛の人になれなかった。その時も、今も。
「愛し合ってるかい」と問われて、「YES」と答えられない。
私はいつもいつも、いろんなことを間違えるバカだから、人と愛し合えない。
だからもう、諦めようと思う。いろんなことを。
清志郎が亡くなって、私はその人を軽蔑して恨もうとした刃の矛先を、どうすればいいのか、また、わからなくなった。
恥ずかしいから。自分のことが嫌いだから。
どうしたらいいか、わからない。
どうしても聴きたくなる時がある。
そんな「愛の歌」を歌い続けた「愛の人」が逝った。