あなたは何故AVを見るのですか 〜代々木忠監督作品についての長い前書き〜
「お嫁さんにしたい大学NO.1」と言われた保守的な女子大の門限厳しい寮から脱出して、初めての一人暮らしをして数ヶ月経った頃のことだった。現在でもサンデー毎日で連載が続いている中野翠さんのコラムに登場した一冊の本のことが気になった。
著者名は「代々木忠」。
田舎の保守的な家で育ちセックスどころかキスもしたことがない二十歳の私には全くそれまで縁の無い名前だった。
「代々木忠」。
職業、AV監督。
ある日、本屋でコラムで紹介されていたその本「プラトニック・アニマル」を見つけて購入した。性に興味は充分にあったが、男と付き合ったこともキスしたこともない田舎娘には、そこに書いてあることはよくわからないことだらけだった。ただ、ここに書かれていることは、「私を否定しない」ことだとは思った。
性的なことに興味があることは、悪いことだと思っていた。性的な質問などをすると、「女がそういうことを言うんじゃない」と不愉快な顔をされたことがあった。読みたくなる漫画は、女の裸が描かれている少年マンガばかりだった。「文学」と呼ばれる物を読むのが好きだったが、何故好きだったかというと、時折性的な物事が描かれていたからだ。だけど女がそういうことに興味を持つのはよくない、私の周りには私のような女はいない、きっと私は間違っている、女が性に興味を持ってはいけないと思っていた。
セックスの経験は無かったけれど、一人暮らしを始めた頃から自慰は覚えていた。気持ち良かったけれど、そんなことをする自分に罪悪感を覚え、世界の中で自分はどんどんとズレてきているのではないかと思った。私は社会に受け入れられていないと思った。そして最初の男に溺れ性欲を利用され弱味にされ搾取され仕事も信用も生活も失った。自分の性欲に対する罪悪感はことさら強くなり、未だに逡巡を繰り返してはいるが、今ならその疎外感を力に武器に出来ることも知っている。
今だって、性をあからさまに語る私のことを、得体の知れない女というように、侮蔑を交えた脅えを含ませる目で見る人間は存在する。そういうヤツらに言ってやりたいのは、私はあんた達の知らないことを知っている幸せな人間なのよということだけだ。
好奇心にかられ、近所にある小さなレンタルビデオ屋の18禁コーナーに足を踏み入れた。小さな、いつもほとんど人の居ない店だからこそ入ることが出来た。そこにはあの本の著者「代々木忠」のコーナーがあり、私はそこにあるビデオを、借りた。
借りたビデオは、「ザ・面接」。
その頃のこのシリーズは、ほとんどレイプだった。アテナ映像社屋に面接のために訪れる女性に、盛装した「面接軍団」が襲い掛かった。女は驚き抵抗し、普通に社員達が仕事をしている「社内で犯される」というシュチュエーションに興奮し乱れていく。
衝撃だった。
画面の中で繰り広げられる世界は、私の思考能力を奪った。こんなすさまじくいやらしくえげつない世界を見たのは初めてだった。そこで繰り広げられる乱交のようなセックスに心を奪われ虜になった。
セックスは、恋人同士が愛し合う果てにするものだとそれまで信じて疑わなかった。
しかし、その映像の中で繰り広げられるセックスは、雌と雄の「祭り」だった。そしてその「祭り」から目が離せなかった。
この世に、こんなにいやらしいものがあるなんて、こんなにすさまじい世界があるなんて。
すごい。
ただただ、すごい。
そんな陳腐な言葉しか浮かばないほど、二十歳の私は頭の中が真っ白になった。
それからその「代々木忠」コーナーのビデオを借りまくったが、しばらくして別の下宿に引っ越して、そのビデオ店も潰れてしまったので、AVを見ることもなくなった。
そして数年後、大学を中退し映画館に勤めだした頃、再び私の心を捉えて離さなくなった映像は、当時年間300本以上見た一般映画ではなく、平野勝之という監督の元々AVとして作られ後に劇場公開された「由美香」という作品だった。そしてまた数年の後、当時付き合っていた人がくれたカンパニー松尾監督の「熟れたボイン」にも未だに捕われている。
最近、いろんな方に、「いつからAVを見るようになったのですか」「どうしてAVを見るのですか」と問われることも多いのですが、上記のような幸福な出会いが今の私を齎したのです。だけど女の身でしかも多重債務者でギリギリの生活をしていたので上記以外のAVはほとんど見たことがありませんでした。そこそこ見るようになったのは、ここ数年のことです。だけどAV情報誌は十年前ぐらいから買い続けていました。当時はインターネットなど今のようには浸透していなかったから、私は私の心を捉えて離さない人達のことを知るために、アダルトビデオ情報誌を買い続けていたのです。
どうしてAVを見るのですか。
何故、AVが好きなのですか。
AVはオナニーの為のものだというのが前提であるし、私だって正座してお茶でも飲みながらほっこりAV見ているわけがない。オナニーする為と言ってしまえばそれまでだけど、私だけじゃない男の人だってAVを見なくてもオナニーは出来る。わざわざAVを借りたり購入するのは、そこに何か理由があるからだ。
他の人の「理由」は、知らない。
ただ、私がAVを見るのは、そこに「本当のもの」があると、思うからだ。
代々木忠、平野勝之、カンパニー松尾の作品を見た時に、強く思ったのは、それだ。
ここには、本当のものがある。本当のものっていうのの正体はわからない、曖昧な概念かも知れないけれど、そこには他の媒体では出会えない「本当のもの」がある。ドキュメンタリーという意味では決してない。嘘っぱちのドキュメンタリーもあれば、真実のフィクションもある。
その世界で生きて、セックスする人達、セックスの世界を作る人達、その中には揺ぎ無い「本当のもの」があると、思った。そしてその「本当のもの」がある世界は、私という人間を否定しない。いや、私だけじゃない、誰のことも、世界に居心地の悪さを感じているあなたのことも、否定しないのだ。
だから、私はAVを見る。
「本当のもの」が見たいから。
何故、そこに「本当のもの」があるのか。
それは、身体は、正直だから。人間の口から発する言葉より、ずっと正直だから。
だから裸を、セックスを描くアダルトビデオという世界にしか見られないものが存在する。
私は、セックスをしないと、相手のことはわからないと思っている。セックスして見えてくるものはたくさんあるから、「床惚れ」というのは、恋愛のまっとうな在り方だと思う。
私は、「本当のもの」が見たい。
その想いを軸にして生きているのかもしれないと思うことすらある。
その想いの先達であるのは、二十歳の時に作品に遭遇し衝撃を受けてから、今も尚、私という人間の中に深く巣食う、「代々木忠」という男だ。
代々木忠、1938年生まれ。
現在も現役のAV監督であある。
代々木監督の、ある作品について書こうと思ったのですが、本題に入る前に前書きが長くなったので、続きは、多分、明日。
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