ふりんよりぷりんがいい


 会社でも友人同士でも、最近中川元大臣の会見の話ばっかりしているのですが、あの会見とあの後の行動についての報道を見て、あーバスの客でようこんな酔っ払いおるわーと思いました。
 添乗員の言うこともガイドの言うことも聞かへんで注意したら逆ギレして絡んでくるねん、触るな言うても、ベタベタ国宝とか触るねん。注意したら、「俺は客だぞ!」みたいな高圧的な態度とるねん。
 ほんまに酔っ払いはタチ悪いしどうしようもないし、周囲に迷惑かけまくってるわー。社員旅行とかで酔ってムチャするヤツとかなぁ、あんなん絶対損してるで。周り(特に女子社員)は結構冷めた目で見てるねんし、そんな「酔ってるから迷惑かけても許される」思うとるやつを、誰が仕事で信用すんねんなって、思う。
 あの中川会見を今度、仕事で言うこと聞かへん酔客おったら、

「あの会見皆様ご覧になりました? 酔っ払いって本当に迷惑でみっともないですね。皆さんも気をつけましょうね」

 って言うてネタにしたろーって思って、添乗員してる友達にメールしたら、「私は既に今日、そのネタ使って客注意したで」と返事が来た。さすが、ワシの仲間や。

 
 それはともかく。
 私には、「親友」と言う言葉を使っていい女友達が2人いる。その1人が結婚するとか言い出した。冗談やと思ってたらホンマにするらしい。
 歴代の彼氏は皆紹介してもらったので知ってるけれど、「結婚はしない」とずっと言い張っていたのが、知り合って間もない相手とホンマに結婚するらしい。
 彼女は私と違って、今までちゃんと結婚できる状況の人ばかりと付き合ってて、今までの彼氏は結婚を望んでても彼女は首を盾に振らなかったので、結婚する気はないんだと思ってた。

 もう1人の年上の「親友」も、ずっと「結婚しないだろう」と言ってたけど、去年結婚&出産したの。
 

 結婚したいしたいって普段から言ってる人が結婚するとか言い出したら、ああ、そうかと妙に納得して受け入れるんだけど、本人も周りも「しないだろう」とか思ってた人が、自分から前向きな形ですると言い出してめでたい話なんだけど、驚きというか、人の考えって変わるのねんとしみじみ。


 ところで。
 ワシは過去から今に至る複数の男とのいろーーーんな関わりと自分の過剰な追い込みにより、自分のような駄目女、人間のクズ、生きてちゃいけない人間は「結婚なんてしてはいけない」、子孫なんてもっての他だというポリシー(?)のもとで生きてたのね。ま、借金もあるし。

 今でこそ私はよく喋る女なんだが、最初の男と関わってた時の後半は言葉が出てこなかった。
 何かひとつ口に出すと、その男の理屈で大否定され、反抗すると「お前が悪いんだ」と罵倒されて、毎日それの繰り返しで、口を開いても罵倒され否定されるのが怖くて言葉が出てこなくなった。
 だから今でも似非インテリで自分の知識を披露したがり理屈で武装する男が嫌いだ。理屈や知識で自分の身を守り、そのくせ「働いて稼いで自分の力で生きていく」という当たり前のことが怖くて逃げていて、女のヒモになることを恥としないクソ男が大嫌いだ。知識なんて無くていい、理屈なんて無くていい、地を這いつくばって世間と対峙して生き抜く生命力のある人間の言う言葉には力があるが、似非インテリの理屈には説得力がないっちゅうの。本を読んで世間を知った気になっている奴等は何でも理屈で戦えると思っていやがるらしい。

 その辺は、どうも女の方がたくましいように思える。
 周り見てても女の方が生命力が溢れてて地に足をつけて生きてるような気がする。

 ともかくそんな日々を過ごして、その後に関わった男も自己陶酔型の男で自分の身を守る為にか何なのかわかんないけど、頭おかしいだのなんだの、散々言われた。なんか彼自身の状況とかに対する鬱屈や怒りをぶつけられていたのよ。

 でもそういうふうな状況の時は、彼らの言うとおり「私が悪い」としか思えなくて、私が悪いから言うとおりにしないといけないお金を渡さないといけない、駄目女で人間のクズだから相手してくれるのはこの人しかいないとか思ってたのね。

 DV受けてた人が、なかなかDV男と離れられないのって、わかる。暴力振るわれても「自分が悪い」から、振るわれても我慢するしかないと思ってしまう構造が。
 そういうのも、いつかは限界があるし、限界があるべきだとは思う。
 気付かないといけない。自分は悪くないことに。あなたが悪いんじゃない。だからあなたは殴られていいはずがないってことに。悪いのはあなたじゃない。あなたを縛り付けて利用しようとし、あなたに甘えるその男が悪いんだ。だからあなたはそこから逃れなければいかない。あなたはそんな男に食い物にされていいような人じゃない。あなたには、本当は明るい未来があるはずなんだ、と。
 あなたは悪くない。

 私は最初の男とか次の男とかを死ぬほど憎んだし呪ったしお願いだから不幸になれと思いつづけてきたんですが、憎まないと、相手が悪いんだと思わないと、自分自身を責め続けてしまうのです。

 私は悪くないと思いたい。
 早く許されたい。
 だけどそれもなかなかで、自分がかけた自分自身の呪いはまだまだ根に張り付いていて、今現在も絶望と諦めに片足を突っ込んでいます。

 そういいつつも昔と比べればなんだかんだと皆様のおかげで考えが少しづつ変わり、駄目人間は駄目人間なんだが、だからこそ、人と共に生きていくことが必要ではないか、そうしないと「真人間」になれないのではないかとか思ったりもするようになったの。
 自分は結婚する資格は無い、そんな人並みのことを望んではいけないんだと思っていたけれど、だからこそ、決して楽なことではない「人との関わり」の制度である結婚をした方がいいのじゃないかとか。

 親友ちゃんは、ワシのそういう変化を「そこまで克服してくれたのが嬉しい」と言ってくれるのだ。

 でもほんとだいぶ、回復したのよ。
 ずっと二十代んときは「生きてちゃいけない」と思ってたし、そういう扱いをされてたから。
 
 配偶者や恋人に暴力振るったり、言葉で痛めつけたりしたことがある人に言いたいことが、ひとつある。

 傷つけられた人間は、傷つけた人間を、憎むよってこと。
 死ぬほど憎むよ。殺したいほど憎むよ。

 

 そうやって、男を憎んで自分も憎んで呪って「一生1人で生きていこう、自分にはそれしか選択肢はない」と三十歳過ぎて実家に強制送還されてから数年頑張ってきたわけです。

 でも私しゃここんとこ、友達とか兄弟達とか見てたり、他にもいろんな人との関わりとか、あと、一緒にはなれなかったけれども誠実に自分に接してくれた男との出会いとかで、人間は1人で生きていけないのじゃなくて、1人で生きちゃいけないのだと思ったの。

 やっと。

 誰かと共に生きる「結婚」ということや、一対一で誰かと対峙すること。
 これが、自分が「やっちゃいけない」「やる資格がない」んじゃないことだと思えたのは、すんごく前進なのねん。

 ぶっちゃけ、今まで不倫とか全然平気だったの。
 罪悪感なんて持ったことないし(未だにそれはない)。
 大ぶっちゃけすると、最初の男は未婚だったが婚約者いたし、付き合う人は既婚者率が高かった。
 そういうのが平気だったんだよ。
 逆に気楽だった。踏み込まなくて済むし、踏み込まれなくて済むし、将来のこと考えなくていいから楽な関係だと。
 嫁や、相手の娘に責められたこともあるが、全く罪悪感もへちまもなかった。


  でも、「結婚」とか「一対一で誰かと対峙すること」が、自分には資格がないことじゃないかもしれないと思えるようになったら・・・

 既婚者と付き合うのは、キツいなぁと思ったのです。
 自分を痛めつける行為だというふうに。(相変わらず罪悪感はないままだが)
 ようやく。
 やっと。


 わたしは男の人の部屋に行ったことがほとんどないの。
入れてくれない(そらそうか)状況の相手ばかりだったから。既婚者じゃなくても、事情があって部屋に入れなかったり。

 でも好きな男の居住空間に入れるということは、すごくしあわせなことだと、実際に入って初めてわかった。

 やっと。

 既婚者とか、そうじゃなくてもいろんな事情のある人だと、部屋に入ってその人の「生活」を見ることなんて出来なかった。
 彼氏の部屋に入るのなんて当たり前ーって人が、ほとんどやと思う。だけど、そんな当たり前のことすら「自分には許されないこと」だったのだ。

 あと、やっぱり「奥さんがいても平気ー」なんて思ってたけど、それは今更ながら相手のことを本当に好きじゃなかったんだと思う。平気なわけがない。自分の好きな男と一緒に暮らして子供もうけたりしている存在がいることが「平気」なわけがない。


 友達には「そんなんあたりまえだ」と言われたけどよ。
 
 ふりんはしちゃいけません!

 と、今は思えるように、やっとなった。
 でもワシの考えなんてころころ変わるし、「ブレーキがついてない」女なんで、ついうっかりまたするかもしれないが、キツいだろうなぁ。くるしいだろうなぁ。ちょいともうそれに耐える体力が今はない。なくていいって。


 ふりんよりぷりんがいい。

 ぷりん食べたい。
 北山マールブランシュの。