失恋
恋を失うと書いて、失恋。
だとしたら、「失恋」とは、恋人や片思いの相手にフラれることだけが、「失恋」では無いはず。
自分から、さよならと告げるのも「失恋」。恋を失ってしまうのだから。
男に、利用されたり、捨てられたり、騙されたりということはあるのだけれども、その時は「失恋して悲しい」のではなく、自分の存在の軽さとか愚かさを思い知らされた悲しさやったと思う。
恋じゃなかった、相手も、こちらも、多分。相手をちゃんと見ていなかったから。
私は、よく「自分は男運が悪い」みたいなことをネタにするんやけど、本当のところは今はそうは思ってないのですよ。何故なら、ここ最近好きになった人や付き合った人のことを憎んでいないから。幸せやったから。生きてて良かったと思える瞬間を与えてくれた人との出会いが「男運が悪い」ハズがない。
今まで、一番悲しかった失恋は、一番永いこと付き合った人との別れ。
その人とは、いろいろあって疎遠になって、連絡が来なくなったので、「ああ、もう終わったんだ」と思って、こちらからも連絡しなくなった。それから一年後、ふとしたことで再会して、向こうも私からの連絡が来なくなったから、「終わった」と思っていたらしい。
その人と「別れていた」一年間、いや、正直に言うと、その少し前から、私は別の人に惹かれていた。そして、連絡が来なくなり、「終わった」あとで、惹かれていた人と寝た。
永く付き合い疎遠になった恋人と一年後に再会して、何度か会って食事をした。この1年間、誰か他の男と関係したのかと聞かれて、正直にしたと答えた。
そうすると、彼は激怒した。驚いた。何で今更と思った。大体、あなたが連絡をしてこなかったし、他にもいろいろあったじゃないか、私が「自分はこの人にとってどうでもいい存在なんだなぁ」と、思わざるを得なかったような出来事も、幾つか。
「あなたのことも好きだけど、その人のことも好き」と正直に答えると、更に激怒された。
「俺は独占欲が強いんだ」と言われて、驚いた。付き合っている時はそんなこと、1度も言われたことは無かったし、そんなそぶりも見せたことが無かった。
私が、「自分は大切にされていない」と思ってしまった幾つかの出来事を、彼に言うと、「ごめん、俺が悪かったな」と、謝られた。
だけど、
「他の男を好きなあなたとは、2度と会いたくない」
と、言われた。
「2度と会いたくないというのは、あなたの勝手な意志表示じゃないか。私は、そんなこと許さない。今は無理でも、いつか会いたい。恋人ではなくても、あなたという人間を失いたくない。だから、2度と会いたくないと言われても、そんなこと私は受け入れない。今は無理でも、いつかは会いたい」
と、私は言った。
結局のところ、彼は一年間、私のことを想い続けていたわけではないと思う。もしそうなら、一年間放っておかないでしょう。知人にこの話をすると、「他の男と寝ていた」という事実で、ムクムクといきなり怒りがわいてきただけじゃないか、と。やっぱり私達はもう終わっていたのだ。
勝手だなぁ、と思った。自分のことを思いっきり棚にあげて言うけど。
だけど、かつてはとても仲の良い恋人同士だった時代も確かにあって、そのことは消えない。抱えるのは辛いけど、消したくもない。
神蔵美子さんの「たまもの」の書評の中でも書いたけど、1度、好きになって時間を過ごした人というのは、自分の身体の一部となる。別れても、確かにそのことは「実際にあったこと」だから、身体の一部となり残る。昔好きだった人の存在が自分の中で「消える」なんてあるのだろうか。消えるような存在の人は、その程度の関係だったということだ。
それは、お互い様で、私が今まで真剣に好きになった人は今でも私の身体の一部だし、私の好きな男の人だって、何人もの女の人の存在が、いまだに身体の一部なのだろう。
前回に書いた坂口安吾の妻の三千代の「クラクラ日記」という随筆の中で、遂の棲家に居を構えてから、三千代さんが安吾に、「いつか聞いてみたいと思っていたこと」を聞く場面がある。
「今は、矢田津世子さんのことどう思っているの?」
「バカだねぇ、もう死んでしまった人じゃないか」
安吾が熱烈に恋をし、求め過ぎる余りに1度の接吻だけで、「絶縁状」を突きつけた美人女流作家・矢田津世子。彼女が亡くなった後もその思慕を安吾は書き続けた。安吾の文学に大きな影響を与え、安吾の書く女の中にそのイメージを残し続けた矢田津世子。37歳で綺麗なままで亡くなった安吾の女神。
三千代さんは、安吾の小説の中で、津世子をモデルにしたといわれている「吹雪物語」だけはずっと怖くて読めなかったという。
三千代さんのような人でも、好きな男の身体の一部である存在は、ずっと怖かったのだ。
世の中には、それを「無かったこと」にしてしまう人や、そのことで「燃える」人もいる。それはそれでいいのかもしれない。
でも私は痛い。
話を戻すと、「他の男を好きなあなたとは2度と会いたくない」と言われた夜、家で一人で号泣した。声を出して号泣して、翌日は目が腫れて大変だった。辛かろうが悲しかろうが会社に行って仕事をせねばならぬのだ、社会人だから。
心が張り裂けるぐらい悲しかった。他の男に惚れて寝ておいて、向こうからしたら、何やねんって感じだろうけど。
あの時ほど、「失恋」が悲しかったことはない。
前回も書いたけど、私は、惚れられたことはあっても、好きな男を幸せにできたことは、多分、無い。そのことが、全てのことを怖がらせている。
怖い、怖い、怖い。
このまま、死んでしまうのではないかと思うと、本当に怖い。迷惑をかけるのも、困らせるのもすごく怖い。逃げるしか道は無いと思う。1人で生きていければ、1人で生きていくしか、その恐怖から逃れる道はないのではないかと、いつも思う。さよならだけが、自分に出来る唯一の愛情表現なのではないかと。
「失恋」がこんなに怖いくせに、1人になるのも怖いくせに。
歳をとると、怖いことや、悲しいことが増えていく。