彼女からの年賀状

 毎年送られてくる一枚の年賀状がある。送り主はFという同級生の娘だ。普段は特に連絡をとることもないが年賀状だけは毎年やりとりしている。


 Fは背が高く、おとなしく少し暗い雰囲気の娘だったが優しい娘だった。Fは自分が背が高いことと「私はブスだ」ということを気にしていた。確かに彼女は美人ではないけれども雰囲気の良い娘だしブスということはないと私は思っていた。



 Fの出身中学は田舎の小さな学校だった。何故だかFだけは同じ中学出身の他の人達と行動を別にしていたし少し浮いているようだった。お互い嫌い合ってるというわけではないけれども何となくよそよそしかった。


 ある日、その理由をFから聞いた。


 Fの中学は雪深い山にあるので、冬場は遠くの生徒は通学が困難なので学校に隣接している寮で生活をしていたのだ。その頃、Fは同級生の、ある男のことが好きだった。名をYとする。Yも同じ高校に来ていたので私も顔は知っていた。背の低いお世辞にも男前とは言えない男だが愛嬌だけはあるようなタイプだった。

 中学3年生の時Fは思いきってYに告白した。手紙に好きですと書いて渡した。Y本人ではなくYの友人から「自分より背が高くてブスな女とは付き合えない」という返事を聞いた。そしてY自身が言いふらしたのかどうかは分からないがFがYにフラれたことは翌日には同級生全員に広まっていた。



 FはYにフラれたことも勿論だが、それが皆に広まっていることにショックを受けた。寮生活で昼間だけでは無く夜も生活を共にしているのに。



 そして3月。卒業、退寮の日が近づいた。寮でもささやかなお別れ会をしようということになったらしい。ただ心を閉ざして孤立していたFはお別れ会も早々に引き上げて一人でベッドに寝ていた。そこにいきなりYと後輩の男の二人がやってきた。驚くFを二人は押さえつけた。後輩の男がFの口を塞ぎ手を押さえ、YがFのパジャマのズボンと下着を降ろす。勿論Fは必死で抵抗していた。YがFにペニスを挿入しようとした。しかし足を動かしてもがくので挿入することは出来なかった。次にYはFの口に入れようとしたらしいが、それも出来ず諦めて、泣くFを尻目に後輩の男と部屋を出て行った。



 翌日Fが朝食を食べる為に食堂に行くと全員の態度がおかしかった。見てはいけないものを見るかのような目でFを遠巻きに見る。同情の籠もった視線で。それを見て昨夜の出来事を寮に居た全員が知っていることをFは悟った。

 この話は後日にFやYと同じ中学出身の別の娘からも聞いた。その話は、やはりその中学では有名な話だったのだ。Yが「Fは俺のことが好きだから、ヤッてやろう」と得意げに皆に話したらしい。まさか本当にそんなことをしようとは誰も思わなかったらしが。「Y君はね、異常性欲者なんだよ。」と、その娘は言っていた。

 こういう話は、よくあることだ。別の娘の話だが小学校の時に神社の境内で同級生の男子二人に脱がされて局部にモノを入れられた話を聞いたことがある。また、片思いしている男の部屋に呼ばれて行ったら、その男の目の前で複数の男に輪姦されたとか、そんな話も知っている。そういう話に比べたらソフトすぎるけれども、私自身は小学生の時に「道を教えて欲しい」と知らない男の軽トラに乗せられて服の上からだが胸を触られたことがある。その時は自分が何をされたかわからなかった。(だからというわけはないが、胸を見られるのとか話題にされるのは長い間ずっと嫌いだった)


 そういうことって、された方はいつまでも覚えているのだけれども、する方は忘れてしまうのだろうか。自分が、もしも女の子の親になった時とかに思い出したりはしないのだろうか。



 しかし何よりも私が納得いかなかったのは、そんな酷いことをされても、その後もFはずっとYの事が好きだったということだ。高校に入っても、ずっと。自分でも馬鹿だと思う、あんな酷いことをされたのに、最低の男なのに、それでもYが好きで、そんな自分はおかしいと思うけれども忘れられないのだと語るF。
 なんで、なんで。あんたみたいな良い娘なら、もっともっと良い男が居るはずなのに。どうしてあんな酷い男を好きで居続けるの?



 男の子と女の子が出会って、惹かれあって言葉を交わして気持ちを伝えて両思いになって、デートして、手を繋いで、キスして、セックスをして、結婚して、、、、それが恋愛だと思っていた。それが正しい恋愛だと。少女マンガのような正しい恋愛。それが恋愛のハズなのに、どうしてFは、あんな酷いことをされても、酷い男だとわかっていても、あの男を好きで居続けるのか。




 わからなかった。それは私が最初に直に目にした「不条理な恋」だったと思う。納得いかなかった。FにもYにも腹が立った。学校でYの姿を見る度に嫌悪感でいっぱいになった。お調子者のYは数人の女と関係をしているという噂を聞いた。なんであんな最悪な男に女が次々に捕まるんだ、とムカついてしょうがなかった。そして、それでも何故FはYを好きで居続けるのか。


 しかしFは本当に優しい娘だった。疎外される事の痛みを知っている彼女は、奇行が多くて皆に敬遠されている同級生男子にも、彼女だけは親切にしていて悪口を言わなかった。その男子が後に自殺した時、Fだけは彼の為に本気で泣いた。


 攻撃される事が怖くて防御壁を作る癖がついて結果的に相手を攻撃する側になりがちな私には、彼女の芯の強さと優しさが羨ましかった。



 不条理で納得のいかないことだらけの恋愛(の、ようなもの)やセックスを自分が体験したのは、それから大分先の話だ。そして世の中には「正しい恋愛やセックス」と同じぐらい、いやそれ以上の数の「不条理な恋愛やセックス」が存在する事を年と共に知る。いや、もしかしたらそんな非の打ち所の無い「正しい恋愛」なんて存在しないのかも知れない。ただの幻想なのだろう。



 人を好きになること。
 これほど不条理なことはない。
 自分で自分の気持ちを制御できず、理屈や、打算や、世間や、そんなモンが存在しなくて、ただ惹かれて、どうしようもなく惹かれることが、「好き」という感情なのだから。


 高校を卒業してFは大学で知り合った男と同棲し始めた。


 何年か疎遠になっていたが久しぶりにFから電話が来た。結婚するので披露宴に来てくれとのことだった。相手はずっと同棲していた男だとばかりてっきり思っていたら(その時点で8年付き合っていたので)違う男だというので驚いた。
 8年同棲した相手とは結局踏ん切りがつかないまま別れ、その後気晴らしに中学の同窓会に出てみた。そこで再会した中学の同級生の男(勿論相手はYではない。Yは何してんのか知らんけど。頼むから不幸になっててくれ。)と付き合い始めて、まだ数ヶ月だけど結婚を決めたとのことだった。



 結婚相手は中学の同級生と聞いて驚いた。中学の同級生ということは多分FとYとの間にあったいきさつを知っているだろう。それでも彼はFを好きだと思い、人生の伴侶として望み、Fも全てを知られていることを承知の上で彼と結婚したいと、そう思えることは、彼女の傷は回復したということなのかな、と思ったのだ。口に出して聞きはしなかったけれども。



 その頃は私自身が不条理な関係に陥っていた。Fの結婚のお祝いにと用意したお金を部屋に来る男が「必ず返すから」と言って持って返ってそのまましばらく連絡とれなくなった。新たにお金を用意して、そこまでされてもその男との関係が切れない自分に対する情けなさで押しつぶされそうな気分でFの結婚披露宴に出かけていった。



 大きな結婚式場のチャペルで本物のパイプオルガンの音が鳴り響く中、Fと、その夫となる人が登場した。Fはずっと泣いていた。お色直しに着た肩の開いた真紅のドレスも、背が高いFにはとても似合っていた。本当に似合っていた。誰もFをブスだなんて言わないだろう。夫となる人は、Yより20倍は男前だったし、とても感じの良い人だった。



 私はその日は、お祝い金を持ってそのまま連絡取れなくなった男(後日ひょっこり部屋にやってきましたが)との不条理な関係を切れない自分が、幸せそうなFと比べて酷く情けなくて惨めだった。自分の傷を全て承知した上で、それを受け入れてくれた男に愛されるF。それに比べて私ったら何してんだろうって落ち込んではいたが、それでもFの結婚は、幸せそうなFの姿は、それまで見た誰の結婚式よりも嬉しいものではあったのだ。あれほど心から人の結婚を祝福したことはない。


 自分が家族とか家庭とかに興味を持てないのもあるので、人が結婚すると聞いても正直なところ「なんか大変そうだなー」とか思うぐらいなのだが(状況にもよるけど)、Fの場合だけは本当に良かったと思った。「おめでとう!」と言った。

 そして、神様は誰のことも見捨てないのだと思った。


 あれからFは2人の子供を生んだ。子供の写真入りの年賀状を毎年くれる。他の人からの子供の写真入り年賀状とかは全然関心が無くてちゃんと見てもいないのだが(ごめん)、Fからの年賀状だけは特別だ。



 Fからの年賀状を毎年見る度に、思う。

 あなたが人生を諦めさえしなければ、神様は決してあなたを見捨てるようなことはしない。
 きっと、あなたに手を差し伸べてくれる、と。

 だから私も諦めないよ、幸せになることを。
 傷を抱えながらも、信じて生きていくよ。