この頃のわたしの徒然草

 某日、大阪某所にて。猪名山門士くん(24歳)に、

「だいたいアンタはだな、いらんことぐだぐだ考え過ぎやねん。アタマで生きるんやない! チンコで生きるんや! アタマよりチンコに従って行動しろ!」

 と、「ちんこ」を連発して偉そうに吼える。


 同じ席にて、AV好き映画監督志望のカマレンジャー(24歳)に、

「お前はこれから、芸名をカマレンジャーから『せんずり貫太郎(ぬきたろう)』にしろ!」

 と、命令する。


 しかし、最近になって「せんずり貫太郎」って、いい名前だなぁと、急に惜しくなる。と、いうわけで、カマレンジャーに「やっぱあの名前、私が使うわ」と伝える。

 と、いうわけで、お知らせです。
 藩金蓮、蓮月詠子に続く、第三のペンネーム決定です。


 せんずり貫太郎(ぬきたろう)です。


 この名前で何か書いてくれという方がいらっしゃいましたら、お仕事喜んで受けさせて頂きます。(いや、他の2つの名前でもお仕事募集中ですよ)
 メールはこちらまでkazusanosukechan@hotmail.co.jp

 せんずり貫太郎の替わりに、カマレンジャーには、「汁レンジャー」という名前を命名する。



 インフルエンザ、どうなるんでしょうね。
 サービス業なので、マスクを見つけると買い溜めております。春はバスガイド仕事が散々だった、ホント悲惨なことになった。そしてこの秋も猛威を奮いそう。怖いのは、うつしてしまうことなんですね。ほら、修学旅行の仕事で子供と接することが多いから、慎重にならざるを得ない。
 そして春みたいに軒並みキャンセルになったら、またまた業界大打撃です。どうなるかわかんないけど、なるようにしかならないし、考えても仕方がないので、ホントこの問題に関しては何にも考えてはいないけど。
 

 お知らせです。って、別にそんな情報を欲しがっている人は見事に1人もいないでしょうけど。
 プロフィール欄などに書いております「社長秘書」という肩書きが、九月いっぱいで無くなります。



 寿退社します!


 


 ・・・・案の定、誰も信じないでしょうね。
 はい、寿退社というのは大嘘です。ただ単に辞めるだけでございます。



 バスガイドは続けます。
 この不景気に辞めるなんて! とも言われたりしましたが、辞めることを5月に決断して、この前社長に伝えて、心は晴れ晴れしております。5月に、辞めることを決断できたきっかけの出来事があり、自分の心の中が凄くクリアになりました。不安はあるけど、それもインフルエンザと同じで考えても仕方ないので考えてない。それに、そのことを良い方向に持っていくのは全くもって自分次第なので。

 三十歳過ぎて借金がバレて実家に強制送還された時の私の目標は「自分の力で食っていける人間になること」だった。学歴無し、若くもない、まともなキャリアもない、パソコンも使えない、資格もない、美しくもない、おまけに男に貢いでサラ金に手を出したバカ娘は社会に出ても仕事が無かった。社会に相手にして貰えなかった。当たり前だ、今まで何の努力も勉強もしてこなかったのだもの。ただ自分の欠損を埋める為に男に依存してその男を繋ぎとめるためだけに時間を浪費し私の最悪最低な20代は終わった。残ったのは失われた信頼と借金だけ。いざとなれば死ねばいい、死にたいと思っていた。
 そんなバカが死に損なって、生きていくためには「自分の力で食っていける人間になること」だった。結婚っていう選択肢は無いと思っていたしね。最低のクソバカ女にそんな資格はない、から。
 学歴もなくまともなキャリアもなく若くもなく美しくもなくパソコンも使えない資格もない女が生きていくには、仕事を選ばないこと、人の2倍結果を残すつもりで仕事をすることだった。自分で言うけど、私はそれから頑張ったよ。人が断る仕事も引き受けて、勉強して資格とったし、多分、頑張ったつもりでいる。そして、しんどかった。だけど全て自業自得で自分が悪いのだからしょうがないと言い聞かせていた。
 家を出て、3年間、バスガイドしながら社長秘書業して。
 またまた自分で言うけど、私は頑張ったと、思う。
 全て要望をこなしたし、無遅刻無欠勤で仕事した。会社の経費節減も、案内業のテキストや資料作りも、様々なデータの整理をして合理化も、後輩の指導もした。
 頑張ったけど、しんどかったです。何度も1人で泣きました。
 いろいろ辛いことも山ほどあったし。だけどそんなことは働いてたら当たり前にあることだ。
 
 頑張ったから、「自分の力で食っていける人間」にはなれたと思います。最低限の生活が出来るぐらいの仕事が出来る能力はあると思いたい。社会性のあるフリをするのも上手くなった。傍から見たら、結構きちんとした社会人に見えます。そうなりたかったから、そういう場所を与えてくれた社長には感謝をしていますし、うちの社長はホント「女傑」なので、影響も受けた、女が社会で戦って生き残るための心構えなどを。社長自身が独身で女手一つで業界トップクラスの会社を継続させている人だからこそ、私が退職を願ったのも、理解してくれました。

 これからどうなるかわかりませんけど、いざとなれば、何しても食っていけるという妙な確信だけはあるので多分、なんとかなる。って、自分が自分を信じないと、誰が信じるんやってことだ。


 会社に出勤しなくなったら、弁当を作らなくてもよくなる。基本的に毎日弁当作ってたんですよ。いや、週に一、二度は弁当屋やコンビニで買ってたけど、ほぼ弁当。自分の食べる分だから、同じメニューばっか。彩りも悪いしメニューも少ない。休みの日に、きんぴらごぼうや、切干大根、ひじきなどを作って、小分けにして冷凍してオカズにしたり。とにかく朝、手間がかからないような簡単弁当ばっかだったんです。
 でも、楽しいんですよ。弁当作りって、アタマ使うクリエイティブな行為だから、結果、美味しいモノとか作れたら嬉しいし。

 だから会社に出勤せずとも、たまには作る、お弁当を。

 私はあんまり男と濃厚な時間を過ごしたことがないので(不倫と遠距離ばっかだから)恋人に飯を作ったことは1度しかない。そのメニュー、覚えてる。舞茸とゴボウと牛肉炒めと、カボチャの味噌汁と、なんや青菜の和え物。
 だから恋人に弁当を作ったこともない。恋人以外の男にならあるけど、元上司とか、ゲイの元婚約者とか。


 今更ですが、そういうのにちょっと憧れがあります。好きな人のためにご飯を作ることが。

 実家にいる時は、わりと料理してて、妹旦那が「美味しい」と言って食べてくれて、結構嬉しかった。
 たまには他人のために、料理したいような気もする。
 
 
 そんな9月のはじまり。

 春のインフルエンザでキャンセルになった仕事が戻ってきているので、今年は例年より早くからバスガイド仕事が忙しくなりそう。

 
 流れに逆らわずに、生きようと思う、そんな9月。


 今日はやたらに、月がきれいだ。
 うれしい。