夏のおさらい

hankinren2008-08-30



☆ 絵ロ本。

 本を読む前に、ブログで「よろシコシコ」とか紹介するのは、ちと包茎・・・ではなくて早計だったかしらと危惧しましたが、ちゃんと購入して読了いたしました。立花里子様の「絵口本。」
改めてこうして通しで読むと、絵が上手いし字も綺麗だなぁ。
 何度か、「隙をつかれて」笑ってしまいました。ぎゃははと大爆笑するのではなくて、スコンと隙を軽くつかれて「ははは」と笑ってしまいました。
 続編が読みたーいいいいいっ!! マジに。お願いします。


☆ 「蓮」

 京都新京極の「田丸印房」さんで、写真の「蓮」と「天女」などのハンコを幾つか購入いたしました。「蓮」を、名刺にベタベタ押そうと思います。こちらのお店のオリジナルハンコは相当笑えます。観音様や妖怪シリーズも惹かれました。1度、HPをご覧下さい。


☆ 新平家物語

 バスガイド業が暇な時期には、歴史長編小説を読むことにしていまして、(集中力必要やし長いから)、冬には池波正太郎の「真田太平記吉川英治私本太平記」〈←これの影響で今年の初詣は楠木正成を奉る神戸の湊川神社へ)読んで、今年の夏は吉川英治の「平家物語」を読了いたしました。
 本来の「平家物語」は、後白河法皇が大原に隠遁する建礼門院徳子を訪ねる「大原御幸」がラストなのですが、「新平家物語」は、その後の、平家を滅亡させた源義経・頼朝の最後まで描かれております。

 んもぅねぇえええ〜っ! 最後の方になると頼朝にムカついてムカついて・・そら判官びいきにもなりますわっ! 義経静御前があんまりにも悲劇的で泣けてしまってねぇ・・・あと、平敦盛熊谷直実に討たれて若武者、そのことがきっかけで直実が出家した)や平忠度(さざ波や 志賀の都はあれにしを 昔ながらの山桜かな という『千載集』に平家一門故に詠み人知らずとして歌が残されている)の亡くなる場面も泣けてね・・・
 電車の中で、平家物語を読みながらハンカチで目を覆って泣く女....

源頼朝には随分ムカムカしたのですが、その後の頼朝の子孫達の義経以上に悲劇的な末路を知っているからそれで自分を納得させたりして。
 頼朝と政子の娘・大姫は、初恋の人(木曽義仲の息子)を頼朝の命により殺されたことで両親を憎みその後の人生を生きる屍の如く過ごし、若くして亡くなります。
 頼朝が落馬して亡くなったあとに、息子である2代将軍・頼家は修善寺に幽閉され母方の一族北条氏の手により暗殺され、その弟である3代将軍・実朝は鶴岡八幡宮にて頼家の息子・公暁により暗殺されて、頼朝の血は絶えるのです。
 
 何が幸せなのか、わかんねぇなあと思いながら読んでおりました。不条理に悲劇的な死を遂げた義経や、頼朝の前で反逆の舞を踊り子供を殺された静御前や、栄華を誇る平家一門の姫(清盛の娘・高倉天皇中宮安徳天皇の母)である建礼門院徳子、そして全てに「勝った」筈の源頼朝の子孫達の血塗られた末路を思うと、ホンマに何が幸せなのか、わかんねぇなあ、と。
 でも、一つ言えることは、静御前はいい女やと思う。
 一説によると、静は「白拍子」の芸人ルートを使って、都にいる時に義経の為に情報収集活動などもやってたとか言われてるんですね。鶴岡八幡宮で、頼朝を激怒させた「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人のあとぞ恋しき」の歌を舞ったエピソードといい、恋のために覚悟のある生き方をした「オトコマエ」なかっちょいい人だなぁと思います。
 その折に、静御前に死を命じようとした頼朝を妻の政子が止めたのも好きなエピソードです。


☆ 観音様の夏

 今年の夏にハマったものは、「観音様」です。滋賀県高月町木之本町などに足を運び、その地で村人達に守り守られて信仰されている観音様を数多く見てきました。国宝である「渡岸寺観音堂」(向源寺というお寺にあります)の十一面観音様以外は、集落の人達に交替で管理されていて、普段は見られなかったり事前に連絡しないといけない観音様がほとんどです。京都の有名寺院とは随分雰囲気が違いますよ。

 娘を琵琶湖で亡くした父親が、ふとしたことから琵琶湖周辺の観音様を巡るという「星と祭」の筆者の井上靖も書いておりましたが、この辺りの観音様は、ただ、「信仰」のためだけに存在する観音様です。時の権力者が自分の力を誇示するためにとか、そういう政治的な背景が全くない、「信仰」だけがある観音様です。

 でも本来は、仏像って(というより、宗教って)そうあるべきですよね。
 渡岸寺観音堂の十一面観音様は、よく官能的と表現されております。井上靖も、白洲正子も愛した観音様。
 この観音様は数年前に東京国立博物館に「出張」なさったことがあったんですが、その際にこの観音様に惚れて、もう1度会いたいとはるばる高月町まで来られる方も多いそうです。私が観音様巡りの際に出会った東京から一人で来られた女性もそうおっしゃってました。観音様との再会に感激して「来年も来ます」とおっしゃってました。
 こちらの十一面観音の後頭部にあるすごい顔「暴悪大笑面」これは、悪さをする者を笑っているそうです。

 渡岸寺観音堂の観音様は、織田信長が浅井氏を攻めた時の戦火から逃れるために村人達により地中に埋められていたんですね。
 あと、手首の先から全てが無い赤後寺の観音様は、羽柴秀吉柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いの際に川に沈められて難を逃れたそうな。

 琵琶湖の奥・湖北と呼ばれるこの辺りは、そのような戦乱の地でした。明日をも知れぬ戦ばかりの日々の中で、名も無き村人達は、ひたすら観音様を信仰し守り続けて今に至るのです。
 「信仰」だけが存在し、今も地元の人達に守られている観音様のお姿を見ることが出来て、凄くありがたく大きな経験でした。
 そのことを今は上手く書けないけれど、他にもたくさんの観音様に手を合わせることが出来ましたので、いつかきちんと整理して書きたいです。

 ただ、哲学としての仏教というのは「人間は何故苦しむのか。どうしたらその苦しみから逃れられるのか。苦しみの原因は何か」を追求してる学問だと思うのですね。そして観音様を始め仏像のお姿の一つ一つの在り方は、全て人を救うために具現化されているのですよ。我々衆生を救う為に手が膝の下まで長く在るとか、救った者を溢さぬように手に水掻きが在るとか。

 人間は何故苦しむのか。
 苦しみの原因は何か。
 それを探ることによって、苦しみから逃れる。

 それが、私の中の「仏教」です。
 って、それが実は仏教である必要はないのですね。身近で自分にとって一番わかりやすい哲学だと思っているだけで。だから「仏教徒」ではないんだろうなぁ。

 苦しんでる人は、苦しみから逃げる前に、苦しみの原因を探る方が楽になれる早い道なのかも。



☆ 西国巡礼

 観音様といえば、今年から西国三十三ヶ所霊場の観音様の御開帳が続々と行われます。西国三十三ヶ所観音霊場巡りは、徳道上人という方が始められた巡礼の旅なのですが、それを再興した花山法王の千回忌に今年があたるため御開帳が行われます。
 先日、第11番観音霊場・上醍醐の准胝堂が落雷で燃えたのは大ショックやったけどね・・・大原の寂光院が放火されて全焼した時以来の「文化財ショック」やわ。
 現在、奈良国立博物館では「西国三十三ヶ所観音霊場展開催されております。清水寺奥の院秘仏・千手観音様が素晴らしかって呆然と見惚れてしまいました。その見据えるような目が素晴らしいのです。

 東京国立博物館の「六波羅蜜寺展」も、関東の方はこの機会に是非・平清盛像を見てきてください。こんな邪悪な眼をした像は見た事がありません。


☆ さくらぁふぶきのぉ〜サライの空へぇ〜

 仏像と言えば興福寺の「阿修羅像」の表紙に惹かれて「サライ」を購入しました。
 定期購読する雑誌は「ビデオメイトDX」「ビデオ・ザ・ワールド」(どっちもコアマガジンから出ているAV情報誌です)、あと自分が書いてる「DMM DVD」と(これは送って貰えるからラッキー)、本当にAV関係しか読まないわたくしですが、以前、「サライ」の山田風太郎特集も面白かったし、今回の仏像特集もエラい良かったし、バックナンバー見ても特集記事が自分のツボやと発見しました。
 しかし「サライ」の読者層って、「中高年」が中心なんですね・・読者ページ見ても、50代後半、60代の男性率高し。やっぱりワシの中身は中高年の男・・・


 わたくしはホンマにいわゆる「女性誌」というジャンルに全く興味が無くチンプンカンプンで、構わないわけじゃないけど身につけているものも安いんで(愛用している鞄は300円で、靴はニッセンのセール品で990円のミュール、服も千円以上のモノはあんまりないよ、化粧品はDHCがセールした時に買い込む←こういうのを人につい言って変な自慢するのが関西のオバハンぽいとよく言われる)全然女を捨ててはいないつもりなんですが、「女の道」からどんどん離れていくような気もします。
 でもねん、昔、やたらと「女の道」を無理して追いかけてコンプレックスを増幅させていた頃の方が、ブサイクでセンス悪かったと思います。

 クソ貧乏歴が永いんで、知恵も働いて何かと安くで購入できる場所とか覚えたしよ。儲けようという気が全く感じられない輸入品屋とか。京都にあるんですけど、やたらめったら服やアクセサリーや小物や家具がアホみたいに安いんですね。オーナーが趣味で世界を旅しながらいろいろ購入してくるんですと。100円Tシャツとかもそこで買ったなぁ。



☆ おめでとう、ありがとう

 ある女の子が子供を産みました。女の子と言っていいのか、でも私よりだいぶ歳下の可愛い女性です。実際に会ったことは無いです。
 私が彼女を「知った」のはあるAVの中でした。ドキュメンタリーという形で、彼女が自分を曝け出した作品でした。若くて、どこにでもいそうな、普通に可愛い女の子に見える彼女の壮絶な過去と現在が語られている作品でした。いじめ・ホスト狂い・風俗・AV・親との確執・・痛々しいながらも「私って可哀相だよね」と軽く言い放つ彼女の明るさと魅力に救いが見えた作品でした。

 自ら破滅へと向うかの如く裸の仕事をする彼女は自虐的にも見えて、彼女の過去も現在も、私には全くのひとごととは思えなかった。
 一つ間違えば「悲惨」とも捕らえられてしまいそうな、あるAV女優の話が、彼女の魅力と明るさと、彼女と「心」でセックスをしたある男優の力で、救いのある傑作になっていました。
 彼女はその後、ブログで結婚を報告し、「幸せです」とファンにメッセージを残し、引退しました。

 そして、この夏に彼女は母親と夫に見守られながら子供を生みました。


 アダルトビデオを、AV女優という仕事を、諸手を挙げて賞賛することは出来ません。常に葛藤と、罪悪感が伴います。「綺麗に撮って貰えて、気持ちいいセックスできて、お金も稼げていい職業」なんて言えません。裸の映像が残ることによって、セックスを仕事にすることが「傷」になることもあるからです。(あちらからしたら、余計なお世話! かもしれないけど)
 特に同性だからこそ、思うこともたくさんある。
 息永く活躍する女優さんなんて、ほんの一握りで、ほとんどの人はいつのまにか消えてしまいます。でも、好きな女優さんほど、そうして「消えて」しまうことにホッとするのです。消えてしまった後、彼女達がどこでどうしているのかなんてほとんどわからないし、中には「AVに出たことを後悔している」人も勿論いると思う。
 特に今は、彼女達が「消えて」も、自分の裸が作品に、ネットにずっと残ってしまいます。

 昔のAVとか、どんどんと再発売とかして欲しいなぁとは思うけど、もしかしたらそこに出演していた人達はそれを望んでいないのではないかと考えると非常に複雑です。

 そんなあーだこーだを考えたって仕方ないんですけどね。
 やっぱりAVが好きだから、見たいし、これからも見るだろうし。
 でもね、同性だからこそ、そういうことを「無かったこと」にしてしまいたくない気持ちもあるから、こうしてちょこちょこといらんことを書いてしまうわけです。

 でも、だからこそ、自分の好きな女優さんには「消えて」から幸福で居て欲しいと思います。
 特に、上記の彼女の「物語」は、私にとってはひとごとじゃなかった。愛されたいと叫び、自分の存在を確かめようと自虐的なほどに性を軸にして生きる彼女の物語が。
 彼女が「幸せです」という言葉を残して、引退して、そして現実に幸せでいてくれることに私は救われているのです。彼女に無事に子供が生まれたと知った時に、やっぱり泣いてしまった。きっと泣くだろうとは思っていたけれど。


 あなたが幸せになってくれたことで、私は救われています。
 ありがとう。
 そして、おめでとう。